蓬門

世の隅でコソコソと蠢く

事故に寄せて思うこと

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180402/k10011388611000.html

まず、若くして夢への途中に命を落とした実習生のご冥福をお祈りする。
高校を卒業して船員になることを決めて邁進していた若者が命を落としたのは非常に悲しいことだ。


この事故を聞いたときの私が真っ先に思ったことは、「とうとう起きたか」だった。
私は、船業界独特の安全軽視と帆船礼賛の思考から、起こるべくして起きた事故だと思っている。


知らない人にとっては、なぜ命綱をつけていなかったのか?と疑問に思うことだろう。
事故の詳細は報道されてはいないが、墜落時、練習生は安全帯を身につけていたのは、まず間違いない。
では、なぜランヤードは支えることは出来なかったのかというと、彼はフックを確保箇所に掛けていなかったのだ。
これは帆船に登るとき下りるときのスタンダードなやり方なのだ。安全帯は、目標とする場所まで使用しないで登るのだ。
一般公開で帆船のマストに登る練習生を見たことがある人もいるだろう。彼らは、無防備な状態で、命がけで登っていたのだ。
マストに登っている途中、練習生がマストを登っている途中、身を守る手段はしっかりと掴むしかないのだ。


なぜ、このような状態が見過ごされている原因は、上にも書いた、日本の船舶業界の安全軽視の風潮と帆船礼賛思考だと私は思う。


まず、船の業界はその特殊性から人的流動性が低く、場所も海上で陸上の社会との接点が薄い。さらに高齢化も進んでいる。
そのため、昔からのやり方がそのまま残り、安全を重視したやり方に変わらない。また、情報交換も陸上に比べれば少なくなってしまう。
その結果、安全対策がなかなか取り入れられないでいる。海運業界の労働災害の発生率は、林業に次いで高い状態が、これを物語っている。


次いで帆船礼賛思考だ。帆船を運航するというのは、昔ながらの方法で気象海象を読み運航することになるから、船員にとって素晴らしい教育方法である、という考えだ。
この主張としては、主に下記があげられる。
 ・気象や海象への理解が深まる
 ・マスト上での作業で高所作業能力が養われる
 ・昔ながらの運航により、天測などの理解が出来る
 ・厳しい環境でチームワークの大切さが養われる
 ・帆船の美しさから、船舶業界の優れた宣伝材料になる


しかし、世界中を見て、船員の教育に帆船を用いている国はごく少数だ。
なぜなら、宣伝材料以外は、帆船に拠らずとも出来ることだからだろう。
本当に帆船教育が優れているというのなら、帆船教育の有無での事故の発生や生存率などを比較して示して欲しいものだ。
私個人の推察だが、上記の理由はとってつけたものでしかない。
私が推察する理由は、「教官たちが帆船に乗りたいから」だと思う。
実際、教官の多くは、練習生時代の帆船での実習が楽しさを忘れられなくて、教官の道に進む人が多い。


以上の状況から考えると、私の考えとしては、練習船としての帆船は不要であると考える。
帆船でなければ訓練できないというのは、教育する側が安全を確保しつつ訓練内容を充足する方法を考えることを放棄しているということだ。
怠慢であると言わざるを得ない。
それでも帆船を使うのであれば、ダブルランヤードの安全ハーネスの導入、マストの昇り降り中も確保できる方法が必要だ。


練習船で不安全な方法に慣れてしまえば、訓練生はその後の人生で不安全状態を許容し、後輩にその状態を押し付けることだろう。
現状の船業界は、そういう状態だ。練習船でしっかりとした安全意識の植え付けができれば、今後の労働災害の発生率の低下に寄与するだろう。
問題を個人の不注意に帰させず、訓練生の安全が確保できるよう、原因究明と再発防止策、教育内容まで検討して欲しい。
今回はたまたま起きた事故ではない。今までたまたま事故が起きてなかっただけなのだから。


帆船は美しいからなくすなって?
それは多数の若者の命を懸けさせるに値するものですか?