蓬門

世の隅でコソコソと蠢く

日本丸の転落死亡事故について、数日たってのまとめ

前回はかなり感情に任せて書いた感がある。事故後のネットの反応の結果も踏まえて、まとめておきたい。

  • ネット上の反応

非常に大雑把で、数えているわけではないので私の観測範囲の印象でしかないが、おおむね次の通り。
・陸上の人・・・え?登るときは命綱ないの?
・高所作業者・・・レベル低すぎ、安全対策が欠如している(唖然・怒り)
・帆船ファン・・・セイルドリルが見れない残念 or 帆船廃止にしないで
・船舶関係者・・・帆船実習は意義あるからやめるな、とうとう起きたね、落ちた実習生のKYが足りない、帆船やめれば、今まで事故なかったから大丈夫、安全対策が必要 etc.反応様々


特筆するべきは、船舶関係者の意見が現状の肯定と否定の両方が存在したことだ。私個人は、この状態こそが船員の安全教育に失敗したことを端的に物語っていると思う。
高所作業での安全確保は、転落の恐れがある場所では常に安全策などで確保されていなければならないが、そのことが共有されていないのだ。

また帆船実習を肯定的に捉える意見では、具体性のある意見が少ない、または他の訓練で代替可能と思われるもの、または単純な精神論ばかりだった。
帆船実習でしか船乗りの資質は養えない、という意見には水産大学校の卒業生を否定するのか?なぜ自社養成では帆船を用いていない理由を考えたことは無いのか?との反論に有効な説明はできていなかった。
皮肉か本心か分からないが、帆船の存在理由は思い出作りだからなくすな、との意見には、真実が見えた気がした。

  • 法規面で問題は無かったのか?

関連する法規としては、船員労働安全衛生規則 が該当する。労働安全衛生規則は、労働安全衛生法では船員法の対象には除外されているため、残念ながら対象にならない。
該当条文は下記の通り

(高所作業)
第 51 条

船舶所有者は、床面から二メートル以上の高所であつて、墜落のおそれのある場所における作業を行わせる場合は、次に掲げる措置を講じなければならない。
一 作業に従事する者に保護帽及び命綱又は安全ベルトを使用させること。
二 ボースンチエアを使用するときは、機械の動力によらせないこと。
三 煙突、汽笛、レーダー、無線通信用アンテナその他の設備の付近で作業を行う場合に、当該設備の作動により作業に従事している者に危害を及ぼすおそれのあるときは、当該設備の関係者に、作業の時間、内容等を通報しておくこと。
四 作業場所の下方における通行を制限すること。
五 作業に従事する者との連絡のための看視員を配置すること。ただし、事故があつた場合に速やかに救助に必要な措置をとることができる状態で二人以上の者が同時に作業に従事するときは、この限りでない。
2 船舶所有者は、船体の動揺又は風速が著しく大である場合は、緊急の場合を除き、前項の作業を行なわせてはならない。


今回特に注目されるべきは1項1号の条文だ。また今回の事故では巻き込まれた者はいなかったが、1項4号についてもきちんと守られていたのか気になるところである。
事故は高所から降りる途中で起きたと報道されている。昇降が作業に含まれるかは、解釈の問題になってくるので、法律上問題があったとは明言はできない。
ただし、船員の特殊性から対象外になってはいるものの、基本的には労働安全衛生規則に倣っているように見える。いずれにせよ、これらの法律は労働者・船員を保護が趣旨であるから、安全対策が不十分であると指摘される可能性は高いのではなかろうか。
実際、労働安全衛生規則では、例外規定が設けられている条文に対して、例外が認められるハードルは高いようだ。

以下、海技教育機構のHPの組織紹介からの引用

海技教育機構について
四面を海に囲まれた我が国において、エネルギー資源や食糧等の輸入及び国内生産品等の輸出による貿易を担う外航海運、並びに、国内産業を支える物資輸送を担う内航海運は、経済、国民生活に大きな役割を果たしています。海運の安定輸送は、高度な船舶運航技術を持つ船員はもとより、船員の経験を有し、陸上で活躍する海技者や船舶を安全に導く水先人に支えられています。

我が国における少子高齢化の進行による後継者不足は船員を取り巻く環境下でも厳しく、更には、船舶の技術革新、国際的な安全基準や環境保全の強化に対応するため、より高度な船舶運航の知識及び技能が船員に求められ、船員の確保・育成が喫緊の課題となっています。

独立行政法人海技教育機構は、船員養成のための学科教育と練習船による航海訓練を通じた一貫教育を実施するとともに、商船系大学や高等専門学校などの船員教育機関の学生に対する航海訓練を通じ、海運業界のニーズに応じた新人船員の養成に加え、水先人の養成をはじめとする実務教育を実施しています。

現在、我が国の海事産業界は一体となって海洋立国日本を支える人材の育成に取り組んでいます。当機構は、船員養成機関としての更なる機能強化を図り、船員養成の核として、優秀な船員の養成を着実に推進し、海上輸送の安全と安定に貢献するとともに、我が国の将来に向け、海事国際機関や諸外国の船員養成機関との協調と連携を図り、世界の海事産業の発展に貢献してまいります。

平たく言えば、実務教育により船乗りを養成する組織である。
機構の短期大学校・技術学校、高等専門学校、商船大学で座学を行い、練習船で実習を行うのが基本的な流れである。
学校では安全に関する座学もカリキュラムに含まれており、練習船で初めて船の上で実施する。事故に対する意見として、実習生自身の危険予知が足りない、というものがあったが、全く的外れだと私は思う。
座学→実習で身に着けるための練習船なのだから、練習船がやり方の指導を行わなければ、教育放棄でしかない。
また、危険予知をしたところで、最後に行き着く対策は、ハードが用意されていない現状では「落ちないように気をつける」または「安全対策不十分を理由に実習拒否」しかなく、実習生には完全に防ぐことはできないのだ。
安全にまつわる練習船の役割として重要なのは、安全に関する用具の紹介だ。マストの昇降は、陸上であれば、ダブルのランヤードやロリップ、安全ブロックなどを利用する場面である。
しかし、適切な方法を学ばなければ、どのような用具があるかすら、実習生には分からないのだ。
あるべき姿は、危険をがんばって乗り切るではなく、用具の活用などで危険な場所でも安全を確保できるようになる、なのだ。

  • 事故への提言

すでに色々書いてきたが、今回の事故は帆船の要否に及ぶ重大なものだ。私個人としては、帆船教育は必須のものではなく、他の手段で代替可能であると思っている。
帆船の存在を継続する理由付けは、優れた宣伝材料であることと思い出作りしかないだろう。もちろん、私はそれらに若者の命をかけさせる価値はないと思っている。
現状のままで存続させたいというのであれば、そう主張する人たちが転落して死亡する可能性込みでセイルドリルも登檣礼をやればいいのだ。
どうしても帆船を存続させるのであれば、ハード・ソフトの両面から安全対策を再構築しなければならない。
ここで「再構築」という言葉を使ったのは、現状の改善では足りないものになるに違いないと思ったからだ。
ここまでは私の感想。ここからが提言だ。


・やるべき事1:事故にならなかったトラブルの発生状況と報告されなかった経緯を明らかにする
  過去何年かの実習生へのヒアリングを行い、登檣時のヒヤリハットや軽度のケガなどがどの程度発生していたかの検証を行うこと。
  統計的な分析を実施するとともに、なぜ、それらが報告されなかったり、見過ごされたかを検証する。
  事故は小さな芽のうちに摘まなければ、大事故につながる。それらを見過ごさないための流れを作るための基礎資料とする

・やるべき事2:マスト昇降中の安全確保・転落防止手段の導入
  これは直接的な事故防止の手段の導入だ。ロリップ、安全ブロック、ダブルフックなど垂直方向移動時にも使用可能な確保の方法はある。
  現在よりも昇降に時間がかかるようになるだろうが、安全確保は最優先されるべきだ。時間がかかりすぎて実習にならないのなら、帆船実習はやるべきではない。


・やるべき事3:陸上の安全基準の導入
  船員労働安全衛生規則は、労働安全衛生規則の基準にならっているものの、一部基準が甘くなっている部分がある。
  法改正すべきかは置くとして、練習船に於いては、労働安全衛生規則以上の安全基準を適用するべきだ。
  労働安全衛生法施行令が改正され、平成31年2月からは、安全帯ではなく安全ハーネスの使用が義務付けられる。
  基本的には、これに従うべきだろう。


・やるべき事4:宙吊り状態、動けなくなった者の救助手段教育(主に教官・乗組員)
  安全帯を用いていても、宙吊り状態で胸部圧迫や内臓圧迫により死亡したり、頭部が下がって頭に血がのぼり失神するケースがある。
  そのため、宙吊り状態から速やかな救助が必要であるし、それ以外にも動けなくなった者(ケガ、恐怖など)を安全に甲板上まで降下させなければならない。
  宙吊り状態で、最短で10分程度で生命の危険に陥る場合もあると言われているので、海上保安庁など待つ時間はなく、練習船内の資源で対応を迫られることになる。
  少なくとも初期の対応をとれなくてはならない。また遠洋航海を実施する性質を考えると、船内で救助技術を持つことが望ましいだろう。


・やるべき事5:宙吊りになった者が安全を保つための教育
  宙吊りなった者が救助されるまでの間において失神や受傷を防ぐために、できるだけ安全な姿勢を保つ方法を教育する必要がある。
  基本的には、頭部を持ち上げること、胸部・内臓の圧迫を防ぐ方法であるが、そのための手段を全ての実習生に知らせなければならない。


・やるべき事6:帆船教育の必要性の根拠の明示
  私自身は帆船教育でなくてもよいと思っている。しかし、船乗り業界では、帆船は必要という声は根強い。が上記の通り、代替可能であったり精神論でしかない。
  どうしても必要だと主張するならば、統計的な数字を用いるなど科学的な根拠でもって説明する必要がある。
  すでに日本丸海王丸ともに船齢は約30年、代替の時期と考えてもおかしくはない。根拠を明確に説明できなければ、次世代の練習船では帆船は廃止になるだろう。
   追記:蒸気タービン船は減りつつあるとはいえ現役で運航されているが、練習船では廃止されたことを踏まえると、なおさら帆船の意義は?という問いは必要だろう。


以上、事故からしばらく経っての感想をまとめた。とりあえず、このまとめで今回の事故に関する記事は、海技教育機構の発表や対策などを待ちたいと思う。
それにしても、実習生のツイートは検索する限り少なく感じられる。鍵つきアカウントによるツイートが多いのか、それとも緘口令が敷かれていることによるものか。



4月30日追記
昨日、横浜の日本丸メモリアルパークで総展帆が行われたようだ。オーバーハング部をなくすように縄梯子を変更したようだが、命綱が常時使用できるような改善は行われていないようだ。
海技教育機構のからの事故に対するアナウンスはないが、お膝元で関連が深い場所でこの対応だと、オーバーハングの存在に原因を帰結させて、命綱が常時使えるようにはしないのではないかと思えてしまう。
今後の動向に注目したい。
しかし、事故の検証はどのような体制で行っているのだろうか。経験者を入れての検証が必要、などという意見があったが完全に誤りだ。
誤った経験が積み重なった結果が今回の事故なので、外部の高所作業の識者を入れて検証が筋だろう。
そういえば、メモリアルパークの展帆作業って船員法の適用外だから労働安全衛生規則の対象のはずだけど、来年から安全ハーネスに切り替えるのかな?他所事ながら気になる。