蓬門

世の隅でコソコソと蠢く

懐かしき小学校の遊具

ふと小学校にあった遊具が懐かしくなった。
それは「トンボ」と呼ばれていて、今では迫害されて見られなくなった回転遊具の一つだった。
一般的には回転シーソーと呼ばれているようだが、私の小学校にあったそれは、一般的なものよりも高さが低かった。
当時から危険であるという理由で3年生だったか、5年生だったか、それ以上の学年にならないと使用できなかった。
時折けが人が出て、何度か使用禁止になっていた。その後は決まって使用方法のレクチャーがあり、利用が解禁された。
自分が思い返しても、ニュースで取り上げられる回転遊具が可愛らしく思えるほど、常軌を逸した、過激な遊具だった。

構造は高さ1mほどの鉄柱の上に、長さ2mほどの梯子をシーソーのように載せた形で、梯子部分はよく回転する。
梯子の端の部分を二人分かれてしっかりと掴み、できるだけ勢いをつけて回転させる。
ある程度の勢いに達したところで、二人息を合わせて足を離すと、遠心力で体は宙に浮かぶ。
浮遊感とスピード感と遠心力を感じられる、非常にスリリングな遊具だ。
遠心力に負けて手を離せば、手を離した人間は吹き飛ばされ、残された人間は重力に引き寄せられて地面あるいは支柱にぶつかる。
こうして説明を書いていても狂ってるとしか思えない過激さであり、しかし、あのスリルは忘れられない快感でもある。

小学校から撤去されて久しく、痕跡はすでにない。しかし、その濃い影は確実に私の脳裏に残っている。

思想・表現の自由と制限

最近は表現の自由を制限する動きが強い気がする。

それらの多くは、自主規制やポリティカルコネクトを理由にした制限で、言ってしまえば、私(あるいは彼ら)が気にくわない表現をするな、という内容だ。そういった形での表現の萎縮を防ぐために、憲法に思想・表現の自由があるのだと思っていたが、社会の動きを見る限り、そうではないのかもしれない。

 

今日見かけたツイートは、児童への性的加害やロリコンペドフィリアの話。欧米では特に厳しい目が向けられている。世界では人身売買や性的搾取の被害を子供が受けているので、それらから子供を守るのは当然の話だ。

 

しかし、それが表現の話となると変わってくる。実在と非実在の話だ。実在する子供がポルノ映像の題材になるのはNGなのは当然だが、実在しない子供に対してはどうなのだろうか?欧米や日本の一部では、それも唾棄すべきものと扱われている。しかし、情欲の対象、あるいは表現の結果生み出される存在まで否定するのは、以下の二点から極めて危険ではないかと、私は考えている。

 

一つは思想・表現の自由の観点からだ。他者の表現を規制することは、社会から考え方の自由をなくすということだ。ある分野で規制を行えば、それが拡大していき、自由な

意思表示が阻害される社会に行き着くのではないかと私は恐れている。そして自由を奪った人間は正義の名の下に他者を攻撃するのだ。

 

もう一つは、個人が情欲の対象を理由に精神的な異常者、あるいは犯罪者として扱われるということだ。情欲に支配され実際に子供に手を出せば、それはもちろん犯罪であり、批判されるべきだ。しかし情欲を持ちつつも、実際に手を出さない人間までも異常者あるいは犯罪者として扱えば、人間の迫害につながる。人類は一部の人間を異常である、あるいは劣っていると規定して悲しい政策を実行したり恐ろしい差別したり、時には虐殺をしてきた過去があることを忘れてはならない。自分が正常であると思っていても、矛先が変われば、自分もその矛に貫かれる側になりうるのだ。

 

社会をより良くしていこうとすることは大切だ。しかし、罰則をあたえるときは法律によらなければならず、その法律は冷静な議論のもとに制定しなければならないというのは、人類が得た智慧だ。感情だけで他者を罰しよう、あるいは規制しようとする風潮には、私は危機感を感じざるをえない。

 

下記は今日見つけたツイート

正義感あふれることが逆に恐ろしい

 https://twitter.com/rachel_thorn_jp/status/1207091689636028416 

たまたま見つけた記事から

帆船 日本丸の船長をされていた橋本進さんの講演をまとめた記事を、別の調べごとをしていたところ偶然見つけた。
その中に、帆船教育の意義を説いた部分があったので引用したい。

船員教育になぜ帆船実習が必要なのかという議論は古くからありました。特に戦後の昭和27年(1952)、“日本丸”の帆装を完全に復旧しようと計画したとき、
さらに昭和48年(1973)のオイルショック前後に“日本丸”の代替船を造らねばならないというときに、大いに議論されました。そのとき必ず出てくるのは
「時代遅れの帆船教育よりも、今すぐ役に立つ人間をつくれ」という、いわゆる即戦論で、これが船会社の要望でした。

                    〜〜中略〜〜

 第1は、一人一人が手にマメをつくり、額に汗して航海を成就することによって働くことの喜びを知ることができます。
最近、テレビや新聞でよく話題になる「ニートNEET)」という言葉がありますが、この言葉はイギリスの労働政策のなかで生まれた言葉だそうです。「NEET」とは、
「Not in Education, Employment or Training.」の略で、「学校へ行こうとせず、就労もせず、そのトレーニングも受けようとしない」人たちのこと、要するに汗をかく
ことを嫌う連中のことを指しているのではないかと思います。
 第2は、大自然を相手に生活するので、自然とのバランスを考える均整の取れた人間が形成されます。帆船が一番美しいのは、自然とのバランスが保たれているときです。
また、その時に一番よく走ります。風が弱ければ帆をいっぱい張り、風がなくなれば風が出るまで待ちます。風が強くなれば、当然、帆を畳んで少なくしなければなりません。
このように、帆船では自然とのバランスを考えながら生活するようになります。覚えておいて頂きたいのは、帆船が一番美しく見えるのは自然とのバランスがとれている時だと
言うこと、操船者も、そういう感覚で帆船を動かしているということです。
 第3は、帆船による集団生活は人間同士あるいは人と船とのバランスをとることを学びます。つまり、集団生活に必要な我慢と意志の力で自分の衝動・欲望・感情などをおさ
える、いわゆる、自分をコントロールする術を学ぶことができます。また、船の中で集団生活をするためには規律が必要で、それを守らないと集団生活はできません。集団生活
は人間が法に従う、ルールを守るという基本を自然に体得する場であります。
 第4は、自分を集団の中の一員として置くという経験は、お互いを認めあうことを知ります。自分が集団を作っているという自覚を持つためには、互いをよく知らなければなり
ません。そして、お互いをよく知ったならば「次は君が○○当番で、当番長だ」と指名されても「よし、やろう」となる。これがリーダーシップの基本なのです。つまり、リーダー
シップの基本はお互いを認め合うことであり、帆船ではそれを体得することができます。
 第5は、船は運命共同体ですから、船で同じ釜の飯を食ったという連帯感は、友愛と協調の精神を育てます。そして、他の者のためにも尽くさねばならぬという自覚を起こさせ、
ボランティア活動の啓発になります。私と一緒に練習船に乗ったことのある事務長に、三橋敏雄という方がおられました。すでに故人となられましたが、この方から戴いた句集に、
 「手をあげて この世の友は 来たりけり」
という句がありました。同じ釜の飯を食った仲間同士は、歳をとっても「よっ」と片手を挙げれば、それで全て了解なのです。この方は高名な俳人であったということをあとで知りました。
 第6は、練習船に乗船中の実習生は一度は外国へ航海するので、国際人としてのマナーを身につけることができます。遠洋航海に出かけるとき実習生に注意するのは、「外地では服装に
気を付けて、日本人としてのプライドを持つこと。絶対に腰を下ろしたり、しゃがみ込んだりしないこと」などでした。

https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2004/00459/contents/0011.htm より


私が読む限り、「それ、本当に他の練習船ではできないの?」と思わずにはいられない内容だ。
結局、現時点で明らかになっている帆船教育の意義は、精神論以外の何者でもなく、事故を減らせるとか、経済的な運航が身につくとか、具体的なものはないのだ。
むしろ、一部は戸塚ヨットスクールの思想に通じる部分もあって空恐ろしく思える。

記憶は突然掘り返される

昔のことが突然思い出され、過去と現在がつながることがある。
基本的には実があることではない。
覚えている経験としてはこんなことがあった


小学校のときだったか、中学にあがってからだったか、何度かファミ通を買ったことがあった。
それから10年近くたち、大学のころだったか、社会人になってからか、そのファミ通に載ってた漫画を書いていたのが、HELSINGを書いている漫画家 平野耕太だと突然気がついた。
自分が読んでた頃のHELSINGとは絵柄も変わっていたのに、なぜ気づいたのか自分でも全く分からない。そして、HELSINGを読んでる最中に気がついたわけでもない。
本当に突然、天啓のように気づいた。
神でも仏でもいいが、こんなくだらない天啓はいらないから、もうちょっと実のあるものを授けていただきたい。

私の自転車について

もともと高校時代に自転車好きな先輩に影響されて自転車を愛好するようになった。
高校・大学はマウンテンバイクを乗り回していた。大学の時に北海道ロングツーリングできたのは良き思い出。
その後、大学○年の秋頃に初めてのロードバイクを買った。確か10万円くらいだったと思う。仕送りやらバイト代やらをやりくりして資金を確保した記憶がある。
それまではマウンテンバイクのどこでも走れるイメージが好きだったが、悪路をほとんど走らない現実を見つめていると、軽やかに走るであろうロードバイクに乗りたくなってしまった。



買ったのは SPECIALIZED Allez SPORTS の多分2006年モデル。セミフラットのメタリックブルーにホワイトのストライプが映えて気に入っている。
サイズたまたま店頭在庫だったもので、やや大きめにだったのは少し気になっているが、ステムの調整などで許容できる範囲ではある。


カタログ上はフレーム売りのモデルで、ショップが4400系の2×9速のTIAGRAをインストールして完成車として販売していた。
かなりレアなモデルなようで、同じ自転車に乗っている人は見たことはない。
大学卒業して2年ほどは、バイクに乗り始めたこともあって、買った時のまま乗っていた。
その後、職場の自転車イベントに参加したのをきっかけに古くなったバーテープやタイヤを交換、更にコンポを交換するようになった。


現在の構成は下記の通り


ポイントはリアの構成がMTB系統になっていることだ。今でこそヒルクライムイベントがはやっていて、コンパクトクランクやワイドレシオのスプロケットも珍しくなくなったが、
交換した当時、コンパクトクランクは出始めていたが、あまりワイドなスプロケットはなかった。そのため、楽に坂を登りたい一心でMTB系のコンポを一部導入した。
10S以上はチェーン幅の関係上、ロード系統とMTB系統ではコンポの互換性がなくなっているため、9速据え置きとした。趣味で走る分には十分だと私は思っている。
その結果、導入できたのが、最大34Tのワイドスプロケットだ。おかげで、やや不恰好な感じはするものの、楽に坂を登れるようになった。


また、ブレーキは105を導入している。今でもtiagraのブレーキは剛性がないと言われるが、4400系のtiagraはダメダメだった。
坂を下っているときにブレーキをかけると、はっきりキャリパーの変形が感じ取れるレベルである。この交換の結果、ブレーキの安心感が高くなり、交換して正解だった
5800系からブレーキのレバー比が変更されているため、同時にシフトレバーも交換となったが、このsoraのシフターの出来の良さに驚いた。
4400系tiagraのシフトは本当に酷く、フロントはお話にならないものだったが、soraに交換した途端、滑らかに変則できるようになった。これにはブレーキの安心感が吹き飛ぶくらい驚いた。
ホビーでポタリング程度で自転車に乗るというのなら、現行のsoraなら特に不満はでないんではないかと思われた。
ホイールも当初の安物から、多少マシなものに変えたが、これも効果は大だった。やはり回転系の部品の変更の効果は絶大だと思う。


加えて、GIANT defy advance1 2014年式 を所有している。allezで転倒して骨折したことで得た保険金で衝動買いした自転車だ。我ながら、かなり阿呆な行いだったと反省している。*1
6800系 ULTEGRA 11S 機械式がインストールされている。初めてのカーボンバイクで非常に軽やかだ。25Cのタイヤもショックがすくなくて快適。
エンデュランス向けということで柔らか目のフレームのため、アルミのカチっと感じが恋しく感じるときもある。次買うときは、またアルミに手を出しそうな気がしてならない。

*1:もうやらないとは言わない