蓬門

世の隅でコソコソと蠢く

環境問題の本質って何だ?

 近頃は、よく分からないけど環境に良いこと(もの)がもてはやされている。あまつさえTOYOTAのCMではエコ替えなどという言葉まで聞こえてくる。*1
 環境に良いってことは何なんでしょう?環境を全くそのまま保つことを考えると、その場にあるものだけで何の改変も加えず生きていくことがベストでしょう。人間も野生動物のように、狩猟採集で日々の糧を得るのです。しかし、それは人間性の放棄ということです。文化も文明も技術も情報*2も捨て去り、人間ではなくホモサピエンスになるということです。
 しかし、それは人間の可能性の棄却そのものです。可能性まで捨てる必要はない。*3 では人間はいかなるシステムを構築するべきなのか。それは人間のテリトリからはみ出すことなく生きることでしょう。そのためには一定の範囲内で得られるエネルギーのみで文明活動を行い、はみ出るものは切り捨てるか、はみ出ないように改善すること。かつての日本では里山というシステム*4によって持続的に資源を利用できる環境を構築してきた。もっと言えばアイヌの人々の暮らしはまさに自然から得られるものしか利用しないことだった。*5
 過去のバランスが保てていた時代*6と現代の人間の生き方を比べると何が違うのか。それはエネルギーの使用量。生活のためにインフラを整える、移動するために車や電車に乗る、物を作る、資源を輸送する。すべての面で比べ物にならないくらいのエネルギーを使用している。ここまでくれば数式の上では目指す状態が見えてくる。


 (使用エネルギー) ≦ (自然界から得られるエネルギー)


上の式を満たすようにすればよい。しかしこれは結構乱暴な式。実際にはここに期間というものを考慮に入れて、再利用可能なエネルギーなども考慮に入れなければならないし、もちろん他の生物が利用できる分を残さなければならない。もちろん期間も数千年とかの単位じゃなくて、せいぜい人の一生かその倍程度で考えないといけない。*7この状態を目指すために人間が知恵を絞る、工夫する、省エネに取り組む、本質ってここじゃないのかな。

*1:ちなみにこの言葉を聞くたびに、私は怒りのあまり冷静でいられなくなります。なんという非科学的な言葉でしょうか。もしコレの言葉を鵜呑みにする輩がいたら日本の科学教育は間違った方向に走ってしまっていることの証左になる。こんな言葉を作る企業だからTOYOTAという企業を私は信用しない。

*2:ここでの情報は、広い意味で人間の英知とでも言うべきもの

*3:しかし、現時点ではその可能性は環境に対しては破壊にしか寄与していない

*4:最近注目を浴びてるけど

*5:地理的に耕作に不適だったから発展しなかった可能性は否めないけど

*6:あくまで現在と比べて、当時も開墾など開発を行っていたことは忘れてはならない

*7:そうしないと石油や石炭が再生可能なエネルギーになってしまう。今有機物の物が石油や石炭になるころには、人間は滅びてます