蓬門

世の隅でコソコソと蠢く

私を保つ関係性と親の気持ち

でも私はバイクを乗るために親の承諾を得なければなりません。もちろん自分で得たお金で買います。でも私の存在はまだ、自分自身のものではありません。なぜなら生まれたときから両親との関係があります。
まだ、私の仕送りは必要ではないですが、いずれは親を養う必要が出てくるでしょう。もし事故で自分を養えない状況になったら、親に頼らざるを得なくなるでしょう。もしかしたら大学に通う妹の面倒を見なければならない状況になるかもしれません。そうした時のリスクを、自分の金で買うからといっても、親には承諾を得なければならないと私は思っています。
そう考えると、自分という存在が、いかに他社との関係性を基に成り立っている課ということに感嘆します。きっと、自分が自分自身のものになる瞬間なんて、殆どないのでしょうね。

これが、もし車を買うのだったら、私は買ったことだけを報告して終わるでしょう。しかし、バイクはそうはいかない乗り物です。バイクに乗ろうとしていることを親に話したら、案の定止めて欲しいと言われました。たとえ事故の件数が少なくても、死亡率が低くても、事故にあったときに傷つくのは身を守るものが少ないバイクなのです。それは、統計とかそんな理論で言い表すことができない、親が子供を心配する気持ちに他なりません。だからこそ、賛成していなくても、親が納得する形で、私はバイクに乗りたいと思うのです。